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下奈良城跡
天正二年(1584)、豊臣秀吉軍と、織田信雄・徳川家康連合軍が対峙した小牧・長久手の合戦のおり、尾張地方北部のこの地域は、両軍の最前線地域とし…
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笠懸の松(下り松)
日本武尊が伊吹山征伐の途中、この地の下り松に笠を懸け休息し、南の戸塚の剣研石(七つ石)で剣を研ぎ、北の花池の蓮田に咲く花をめでられたと伝え…
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七つ石(剣研石)
大小18個の岩石の中に、露出顕著な岩塊が7つ見られるので、七つ石の名称がある。日本武尊が熱田の森(熱田神宮)から伊吹山に向かう伊吹山征伐の…
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佐吾平の碑
天保年間(1840年頃)に江戸参勤のため、明石藩主松平斉宣の行列が萩原宿近くを通りかかったとき、暴れ馬を取り押さえようと行列を横切った萩原宿の…
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照手姫袖掛け松
室町時代中ごろ、浄瑠璃や歌舞伎などで名高い照手姫が常陸(茨城県)の城主、小栗判官助重と京都へ向かう鎌倉街道沿いの同所で、小袖を掛けて休息し…
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小塚直持の墓碑
幕末から明治の初めに生き、本居大平の門下で国学、漢学などを学んだ小塚直持の墓碑。学者であり文人でもあって、尾西地方の優れた文化人であった。…
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誓阿の墓碑
冨田村出身の誓阿上人は、浄土宗西山深草派本山誓願寺大勧進職を勤める傍ら、故郷冨田の阿弥陀堂・地蔵寺の荒廃するのを嘆き、これをあわせて建立し…
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鵜飼吉左衛門の碑
水戸藩士、鵜飼吉左衛門は、息子の幸吉とともに激動の幕末の時代に重要な政治・外交問題に深くかかわり、日本の将来を憂い奔走した尊皇攘夷派の志士…
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奥村永福公 出生地の碑
戦国武将に前田利家に仕え、数々の武勲をたてた奥村永福公の碑。前田家の命運をかけた戦となった、天正14年(1586)末森城の合戦での奥村公の功績は特…
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墨宇吉の像(念敬寺)
艶だしの技術で尾州織物を広めた墨宇吉の像がある。 墨宇吉の像は、念敬寺境内の南西角にある。道路からも見ることができるが、像が東を向いてい…
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川合玉堂生誕の碑
明治6年に木曽川町で生まれた。14歳で京都・四条派に入門し、後に上京、狩野派の橋本雅邦に学び、自身の画風を確立した日本画の巨匠。昭和15年に玉堂…
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皇太子殿下 御野立所碑
明治44年、木曽川で実施された特別騎兵渡河演習の際、この地で御上覧された。 堤防道路西側に石碑と説明板がある。
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丹羽玄塘墓碑
北方川並奉行所調役(長)となり、郷土史家として『尾張塘叢』を著し、59才で没した。 北方町の西本郷共同霊園内西側に、墓碑と説明の石碑(平成5…
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井口唯志の碑
貧しく寂しく苦しき中にも志をまげず28年の生涯を終えた井口唯志の碑。大正から昭和にかけて執筆発表した小説・随筆は、たぐい稀にみる才能に溢れそ…
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キリシタン殉難の碑
尾張徳川藩の厳しい取締りにより、コスモ道閑らが火あぶりの処刑を受けた。 家具店北の交差点を西へ入り(西向きの一方通行)、150m程の道路北側の…
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森春濤漢詩碑
明治時代前半に、漢詩壇で大活躍した国内の第一人者。大江川あたりで春濤が詩作したといわれる。 大江川東側のほとり(天道橋北側)に漢詩の石碑(…
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森春濤宅址碑
文政2年(1819)ここに生まれ、有隣舎に学び、45歳までここに住んだ。 県道尾張 一宮停車場線と本町通りの交差点から南側へ入り、道路西側の仏壇店…
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夏木園跡
一宮の毛織物の始祖酒井理一郎氏が、教育界・実業界・博愛慈善事業などを目的として設立した。 薬師寺東の公園内に石碑(平成元年建立)のみ。