i-バスで行く史跡めぐり【黒田宿】

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i-バスを利用して「いちのみや」を再発見してみませんか?
i-バスのコース・バス停ごとに、市内のおすすめスポットを紹介していきます!

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、2023年大河ドラマ「どうする家康」と2年連続で東海地域が舞台になっている作品が続きます!
愛知県でも大河ドラマにあやかり、歴史ブームが巻き起こっているのかも・・・

一宮市にも歴史のある名所は多数あるので、ぜひ巡ってみては?

旧鎌倉街道を行く【黒田宿】

旧鎌倉街道とは?

鎌倉時代に京都と幕府の所在地鎌倉を結ぶ重要な道路・官道として、主要な土地には宿駅が設けられ、黒田には黒田の宿があり、交通の要衝でした。現在ではその路線の後を求めることも困難なまぼろしの街道です。

美濃路街道を行く【起宿】

スポット紹介

玉堂記念木曽川図書館

南東敷地内(道路北側)に川合玉堂生誕の石碑(昭和38年建立)がある。

川合玉堂とは・・・
明治6年に木曽川町で生まれた。14歳で京都・四条派に入門し、後に上京、狩野派の橋本雅邦に学び、自身の画風を確立した日本画の巨匠。昭和15年に玉堂記念は文化勲章を受け、昭和32年83歳でこの世を去るまでの日本画壇における活躍は有名である。

念敬寺

艶だしの技術で尾州織物を広めた墨宇吉の像がある。

玉ノ井清水

賀茂神社の境内にある霊泉で天平3年(731)聖武天皇は光明皇后の病のため、お告げを受けた清水を汲み、京に帰ったところ皇后はたちまち平癒された伝承が残っており、地名の由来にもなっている。

賀茂神社…6世紀半ばに創建されたと伝えられる古社で、社宝の鬼神面は県の文化財に指定されている

賀茂神社

北方代官所跡

天明元年(1781)に北方堤防上に北方代官所(陣屋)が設置され、その管轄は、尾張(愛知県)、美濃(岐阜県)の両国にまたがっており、併せて川並奉行所も置かれていた。

長谷川秀一公旧居跡

長谷川秀一は、織田信長の側近で数々の奉公職や検使などを務めていた。天正10年(1582年)、徳川家康一行が信長の本拠地安土を訪れました際、秀一は接待を命じられ、上方見物の案内も務めた。堺滞在中に、信長が本能寺で襲われたため、家康らと伊賀越えで熱田まで逃れたとされている。

澤井公屋敷跡

小牧・長久手の戦いで家康軍に属し勇名をはせた黒田城主・澤井雄重。家康から感謝状を受けたという記録(典拠「木曽川町史」)が残されている。
また、澤井家は尾張藩の家老を勤め、明治時代には木曽川町の初代村長となった名家です。

黒田城跡

戦国時代からこの地にあった城で七代の城主の記録が残っている。中でも
土佐20万石の大名に出世した山内一豊が生まれた城。(大正6年[1917]愛知県が建てた「黒田城址」碑の裏面に銘記)他にも、戦国時代からこの地にあった城で七代の城主の記録が残っている。

剣光寺

源頼朝が京より帰国の途中、地蔵尊に田畑五町八反と宝剣一振りを寄進しました。頼朝死去の夜、地蔵菩薩が持っていた宝剣が光を放ち、南東の鎌倉方面を照らしたといわれている。

籠守勝手神社

「御駕籠祭」は、厄払い・豊年を祈願する祭事で、444年履中天皇の孫である億計王(仁賢天皇)と弘計王(顕宗天皇)の二皇子が皇位継承の難を逃れ、都から下るときにこの宮で駕籠をとめ一夜を明かしたという伝説を、旧暦8月15日頃これを後世に語り継ぐものとして催されています。歴史は古く平成11年(1999)には1555年祭が行われた。

法蓮寺

法蓮寺本堂北には、一豊の父・山内但馬守盛豊と兄・十郎の墓がある。兄は弘治3年(1557)に黒田城で夜襲にあい死亡。父は永禄2年(1559)に岩倉城落城時に死亡したとされる。また、法蓮寺境内には「山内一豊出生地」の碑がある。

i-バスで「いちのみや」再発見!

一宮市の歴史的な遺産、過去から現在の風景につながる名所におでかけできるコース・バス停をご案内しています。

美濃路街道や尾州を巡るコースもご案内していますので、
ぜひ一宮市公式ウェブサイト「i-バスで「いちのみや」再発見!」をご覧ください。

「旧鎌倉街道を行く【一宮】」は、観光協会公式HP「各種パンフレット」をご覧ください。

一宮市観光協会 各種パンフレット

一宮市 i-バス公式HP「i-バスで「いちのみや」再発見!」

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