今から五百年程前、足利時代の事だと申します。宮山(中島郡今伊勢村地内)酒見神社の西方に大きな御邸がありました。そこの主人は神戸氏といい、京都の足利氏の家臣でありましたから、土地の人々は殿様のように思っていました。勿論そういう生活をしてもいたのですが。

 ある時神戸氏の主人は京都から美しい年若い坊さんをともなって帰って、その酒見神社の鬼門にありました大きなお寺のお弟子にしました。しかるに神戸家にはその頃絵のように美しい一人のお姫様がありましたが、かの若僧が時折り邸へ読経やら和尚の御使いらやで表れるのを垣間見て、小さい胸をとどろかせていました。これが重なり重なりて、遂には堪えきれなくなって、折々いろいろ思いをこめて手紙を届けましても、遂に一度も返事がありませんでした。

 ある晩若僧は和尚の供を勤めましたから、姫は遂に思い迫って「今夜池の端の柳の影でお待ち致します。もしおいでがないと身を投げてしまいます」と紙片にしたためて、玄関にぬいでありました若僧の頭巾の中へそっと入れておきました。その夜更けて姫は屋敷をぬけ出し、屋敷の東(今の酒見神社の裏手)にありました大池の岸の柳のかげで、身を焦して飛びかう蛍の光を思いつつ待っていましたが、やるせない思いに胸を抱いて待てども待てども、遂に若僧の姿は見えず、蛍の光色あせて夜はほのぼのと白みそめました。

 翌朝姫の家出を知って探しに出た家臣等は、大池の水藻の花の影にいたましい姫の死体を見つけたので、早速引き上げて手当をつくしましたが、もうすでにこと切れた冷たい骸となってしまっていました。若僧は師僧に従って姫の葬いの席に連なりましたが、その胸中はどんなでありましたろう。よもや死んでしまうようなことはあるまいと思って、自分の戒律を守るために、つてなくしていましたのも、こんな結果になろうとは夢にも思いませんでした。その夜ありのままを師の坊に物語って、翌朝神戸家へのそれとなく挨拶をし、小さい白木の位牌を懐にして京へ向って出立しましたが、その後これが動機もとなって一生不犯(独身のこと)の有名な高僧となられたということであります。

 星移り物変り、神戸邸も大寺もいつしかほろびて、今はただその跡を伝うるのみで畠となって、酒見神社裏手のわずかにのこった小池には、今もなお水藻の間に長い髪の毛を見出すことがあるといい伝えます。そしてその辺一帯の池に生い繁る芦はみな「片葉」になって風にふるえている。それは姫の片思いの執念が残っているのだと申します。