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Tokyo

市川 房枝(いちかわ ふさえ)

1893(明治26)〜1981(昭和56)

小学校教師、新聞記者を経て、婦人運動に取り組み、女性の地位向上に力を尽くした。

労働組合「大日本労働総同盟友愛会」婦人部の書記となるが、3ヶ月で辞任。平塚らいてふらと「新婦人協会」を設立し、女性の政党加入や政治活動を禁じた治安警察法の改正に取り組む。その後、「婦選獲得同盟」を結成して、婦人参政権の獲得、選挙粛正、消費者運動などを行う。

戦後は理想選挙を掲げ、5期25年間にわたり、参議院議員を務めた。

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Tokyo

神戸 正雄(かんべ まさお)

1877(明治10)〜1959(昭和34)

法学者、経済学者、政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。

1904年(明治37)ドイツ・イギリスへ留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、実際に現地に居住し学んだことは、大きな影響を与えた。

帰国後の1907年(明治40)京都帝国大学法科大学教授に就任。1917年(大正6)京都大学法科大学長(現在の法学部長にあたる)に就任。

経済学者としては、現在採用されている地方自治権や消費税(租税論)のような諸政策を中央集権が強固だった当時から既に提唱していた。

    
Osaka

墨 宇吉(すみ うきち)

1855(安政2)〜1938(昭和13)

艶出しの技術で尾州の織物を広めた。

昔ながらの手作業で行っていた、織り上がった織物の仕上げの艶出し工程を機械化し、近代的な工場を建設。並々ならぬ研究や努力の結果、尾州の織物の基礎を築いた。

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鷲津 毅堂(わしづ きどう)

1825(文政8)〜1882(明治15)

明治新政府で活躍した漢学者。

幕末の時勢のなかで大いに活躍し、尾張藩の勤皇家として名高く、明倫堂の督学(校長)にもなった。

明治になってからは、司法官や県知事などをつとめ、新しい日本の国づくりに力を尽くした。

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