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東京大学史料編纂所所蔵模写

浅野 長政(あさの ながまさ)

1547(天文16)〜1611(慶長16)

春日井郡北野村(現在の愛知県北名古屋市)の安井氏に生まれる。

織田信長の弓衆をしていた叔父・浅野長勝に男子がなかったため、長勝の娘・やや(弥々)の婿養子として浅野家に迎えられ、家督を相続する。秀吉に嫁いだ寧々も長勝の養女であることから、秀吉は相婿にあたり、信長に仕えたのちは秀吉の家来となり、五奉行を務めた。

金沢市・永福寺所蔵

奥村 永福(おくむら ながとみ)

1541(天文10)〜1624(寛永1)

父が、奥村(現在の奥町)に住んだとされ、永福も奥村で生まれたとされる。

天正12年(1584)、越中の佐々成政が、前田利家の治める加賀・能登へ侵攻した際、守将奥村永福が拠る末森城を攻め立てた。籠城軍は頑強に抵抗し、ついには利家本軍の来援を得て、城を死守した。

犬山市・常福寺所蔵

梶川 高盛(かじかわ たかもり)

?〜1596(慶長1)?

織田信長、信雄に仕えた武将。

高盛は、梶川高秀の子で、父とともに奥村 へ移ったと思われる。天正元年(1573)には、信長に従い、足利義昭が籠もる槇島城(京都宇治市)攻めに加わり、その際、宇治川で先陣を果たし、信長から馬を下賜されたといわれる。

小牧長久手の合戦では、信長の弟中根信照を迎え入れ奥城に籠もったが、秀吉の大軍を前に城を開いた。

一宮市・若栗神社八幡宮所蔵

兼松 正吉(かねまつ まさよし)

1542(天文11)〜1627(寛永3)

天文11年(1542)、島村に生まれた。

信長に仕え、桶狭間の初陣以来、幾多の戦いに加わり武功を重ねた。

また、現在一宮市にある若栗神社八幡宮の社伝によると慶長10年(1605)、武運長久祈願のため、若栗天神に八幡宮を合祀したといわれる。

福井市・永昌寺所蔵

長谷川 秀一(はせがわ ひでかず)

?〜1594(文禄3)

信長の側近で数々の奉行職や検使などを務めた。

天正10年(1582)、徳川家康一行が信長の本拠安土を訪れた際、秀一は接待を命じられ、上方見物の案内も務めたが、堺滞在中に、信長が本能寺で襲われたため、家康らと伊賀越えで熱田まで逃れたとされる。

(財)土佐山内家宝物資料館所蔵

山内  一豊(やまうち かずとよ)

1545(天文14)〜1605(慶長10)

戦国時代、尾張の三英傑の織田信長、羽柴秀吉、徳川家康に巧みに仕え、土佐一国の大名(初代土佐藩主)へ出世した郷土の武将。

妻千代の内助の功により駿馬を買った話は有名。

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