天明の飢饉(1781〜1789)の後、当地方もその例にもれず、毎年の不作につぐ不作で、天保3年(1832)には穀類の移動を厳しく取り締まる命令が出されるまでになりました。

 これらの食糧不足による農民の疲弊は極度に達し、疫病がはやると餓死する人も多く出ました。

 困り果てた村人は、神仏の加護以外に救われる道はないと「病気平癒」「村中安全」を祈願するため、野府川近くに住んでいた瓦職人に地蔵菩薩の造立を依頼しました。これが、小原の中ほどにある、千体地蔵の由来といわれています。

 地蔵尊は、背は約15センチ、型は4種類あり、子どもの守護にもご利益(りやく)があるそうです。                         (開明字郷中

   

千体地蔵

千体地蔵の由来