明治33年(1900)1月、葉栗郡光明寺村(現一宮市光明寺)の一織物工場で火災がありました。工場には49名の女子労働者が機織場(はたおりば)の2階2間の寄宿舎に住み込んでいました。みんなが疲れきって眠っている午前3時ころ、その階下から出火。跳ね起きた時にはすでに階段は火の海で窓から逃げようと飛びつくと、そこには太い鉄の柵がはめられていました。

 鎮火後、散乱した遺体は13歳の少女数人を含む31名の女子労働者のものと認められました。彼女たちはどこの誰とも分からず、ようやく本籍地、氏名を調べて親元に連絡しましたが、近親者も白骨化した遺体を確認することは難しかったといいます。当時、寄宿舎の窓に鉄棒をはめ込むのは、「男などの入るべからず様」とこの地方の織物業者一般のしきたりであったといわれますが、こうした形で女子労働者は身柄を拘束されていたのです。

 この地方の紡績工業の発展のかげには、このような女子労働者たちの苦しい生涯があったのです。                                        (光明寺)

   

光明時霊園

織姫之碑