明治より百年も前のおはなし。

 小日比野村の若者が、松竹(現在の江南市)のお祭りに招かれての帰り道、ほろ酔い機嫌で村境の橋を渡り、小薮にさしかかると雨が降ってきました。「こんばんわ」と姉さんかむり娘が彼の前に立っている。

 若者は答えようとしてもなぜか声が出ない。目の前が真昼にように明るいが、体が言う事をきかない。「さぁ、私が送ってあげましょう」と彼の手をとって歩き始めたが、その手が氷のように冷たい。若者は夢をみているように歩くだけである。どれほど時が経ったか、やっと我にかえり気がつくと、持ち物が軽い。お祭りの重箱が空になっていた。「ヤラレタッ、クソッ」 話には聞いていたが、とうとう自分にきた。

 しばらくして、一人の若者が台ヶ島(現 浅井町小日比野字大ヶ島)の雑草の上でうつぶせになっていたところ、娘に声をかれられ、夜が明ける頃、みやげ物の菓子箱が小石と入れ替わっていた。村人たちは「それは台ヶ島の平助狐の仕業だ、生け捕りにして村で飼ってやろう」ということになった。

 さかのぼること、二年程前、平助という老人猟師が住んでいた。そこに狐が住みついたのである。ある日、村人たちが小屋をのぞくと、苦しい息遣いでオスの狐がうずくまっていたので親切に手当てをして面倒をみていた。ほどなくして、「おせき」と呼ばれる美しい白狐を妻にして、五匹の子宝にも恵まれた。

 それから、平助狐は悪戯どころか村人のために、何かと力を貸すようになった。その一つに、村一番の荒廃地、台ヶ島を総がかりで開墾し、植えつけた農作物を食い荒らす野ウサギを退治したり、親のない子どもと遊んでやるなど、村人に喜ばれた。村人たちはこれに感激して、字本郷の竜泉寺に社を建て、平助稲荷とあがめた。昭和二十五年、地遍寺に移され、境内稲荷神社の奥の院として、参詣が絶えない。